「やりたい事」と「やりたくない事」
人生は、やりたい事をみつけて、それに全力をつくすのがいいと思います。
何をするにも、「やりたくない事」をやるより、「やりたい事」をやった方が、いい結果につながるでしょうから。
ところが長い人生には、特に、いろいろな可能性のある若い時期には、「やりたくない事」をやらなければならない状況も少なくはありません。
そんな時、
「やりたくない事はやらない!」
「やりたい事に全力を尽くすのだから!」
と思うもの一つの選択肢です。
ですがそれは、一つの可能性を確実に潰してしまう選択です。
もちろん、選択した「やりたい事」の可能性で、将来成功することもあるでしょう。
しかし、ひょっとすると今の「やりたい事」が、将来の「やりたい事」ではない可能性もあります。
そして、そのときには、一つの未知の未来は潰れてしまっているのです。
「やりたくない」から、やらない事を増やしていけば、どんどん自分の未知の可能性は、芽を出すこともなく朽ち枯れて、足元は可能性の枯れ草だらけになってしまうことでしょう。
「やりたくない事」をいい結果につなぐ方法
だからといって、「やりたくない事」を、「やりたくない」と思いながらやっても、いい結果には繋がりません。
それは、自分の精神衛生をむしばみ、心にストレスをためてしまいます。
そして、「やりたくない」と思いながらやった結果が、いいいい実を結ぶはずもありません。
「やりたい」「やってて楽しい」と思ってやったほうが、いい結果につながりますよね。
わたしの場合ですが、「やりたくない事」をやる時に、2つの方法をとりました。
- 「やりたくない事」をやりたくないと思わない
- 「やりたくない事」をやりたいと思う
単純ですが、あまりに私見で、万人に通用する対策ではないかもしれません。
わたしは、このような方法でポジティブに考えるようにしています。
「やりたくない事」をやりたくないと思わない
「やりたくない事」をやらなければならない局面は、かならずあります。
そんな局面で、なんとかイヤイヤやり遂げたとしても、それはいい結果を結びません。そして、自分の気持やテンションにもいい影響を与えません。
そんな時に、わたしは、「やりたくない事」に気が付かないフリをしました。
「やりたくない」と思ってしまうと、とたんにやってる事がイヤになります。
その、イヤになる気持ちに気づかないうちに、集中して、それこそ息をとめてやっつけてしまうようにしました。
そうすると、早くやっつけてしまいたい気持ちと集中力で、意外と効率よく事をすすることができました。
しかし、やはり、息を止めている分、どこかに負担がたまります。
その負担が溢れ出す時が、必ず不定期に訪れます。
そんな時は、「やりたくない」から「やらない」と、思い切って割り切って、やらない、もしくはイヤイヤ適当にやっつけます。
すべての「やりたくない事」をやらないよりは、多くの「やりたくない事」を効率よく片付けられ、それなりな経験や、可能性も伸ばすことができました。
「やりたくない事」をやりたいと思う
しかし、それでは根本的な解決にはいたりません。
息を止めた負担は徐々に高まり、長く息を止めることができなくなってきます。
そこで考え方を変えました。
「やりたくない事」の本質をみつめて、なにがやりたくないのか?
その「やりたくない事」の中に、すこしでもやりたくなる事はないか?
を探りました。
そうすると必ず、その「やりたくない事」をやることによって、「なにかに良いこと」を見つけられます。
誰かのためになる事
誰かが幸せになる事
誰かが笑顔になる事
自分が「やりたくない事」の中には、だれかのための何かが必ず見つけられました。
誰かのため。誰かの幸せ。誰かの笑顔。
そのためなら、「やりたくない事」も好きになれます。
だんだんに、「やりたくない事」も「やりたい事」に変わってくるのです。
自分のためだけを考えていると「やりたくない事」も、だれかのためにやっていると、息切れしないで、むしろ楽しめるということに気づきました。
先述のとおり、これはあくまで私見で、万人に通用する対策ではないかもしれません。
でも、自分にあった方法が、ほかにもきっとあると思います。
見方や、考え方をかえるだけです。
あなたにあった方法が見つかりますように。