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超ネタバレ【君の名は。】を考察してみた#勝手な解釈01本当にハッピーエンドなのか?

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いわずとしれた「君の名は。」その結末の本意は?

この映画は、「想いと願いを他者に届けようともがく」ことをテーマにした、ちょっとキュンとするラブストーリ。その結末や、あらすじの奥底には、新海誠らしいテーマが隠されているのです。

RADWIMPSの曲に刺激され、おもわず考察してみたくなったので、小説まで買って、ネタバレしながら考察してみます。

いやあ!新海誠、すごいな。読み解きごたえがある。

おおざっぱな、ああらすじは、

時と空間を超えてつながっているふたりが、
いわゆる運命っぽいもので、
最終的には出会ってハッピーエンド

という、よくありそうなストーリーがメインになっています。

その根本的なところに、人と人や、時と時の「つながり」というキーワードと、「想いを伝えるもどかしさ」をふんだんに盛り込んで進んでいきます。

そして、要所々々で思わせぶりなメッセージを伝える、RADWINPSの4曲のうた

『夢灯籠』

『前前前世』

『スパークル』

『なんでもないや』


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『夢灯籠』

灯籠とは灯りを放って、足元を照らすもの。

夢灯籠とは、ひかりではなく「」を放つもの?
照らすのも?

あぁ「願ったらなにがしかが叶う」
その言葉の眼をもう見れなくなったのは
一体いつからだろうか なにゆえだろうか

いつのころから、願いは叶うという希望をわすれて、信じなくなってしまったのだろう。
「眼を見れない」=「信じられない」?
みたいな歌詞のあとに

5次元にからかわれて それでも君をみるよ
また「はじめまして」の合図を 決めよう
君の名を 今追いかけるよ

5次元とは?

4次元は、縦横高さの3つの軸を持つ3次元に、時間軸を追加したいわゆる「時の流れ」をふくめた次元。

一般的には4次元が複数ながれていて、それぞれが時空(時間と空間)と呼ばれるものであるといわれています。
そして、その複数の時空が並行宇宙をつくっていて、いま選択した事による未来の分岐が、無限に違う次元を増やし続けているといわれています。

5次元とは、さらに「意識による区切り(セクタ)」という軸を追加したもの、といわれているようです。

意識により、その時間の流れをとびこえたり、となりの次元へ移動したりの「区切り」をつけられる世界のようです。

いってみれば、5次元とは、思いのままに、思った結果につながる世界?
といったところでしょうか。

5次元にからかわれて、違う次元にいっても、想いがつながっているきみを見つけます。

時代や次元が違うので、きっと名前が違うこともあるかもしれません。

名前なんて、そのつながりには関係ないから、わすれてしまうのかもしれません。

なので、ふたりで決めた「はじめましての合図」を交わすのです。
君の名は?」って。

そしたらねぇ 二人で どんな言葉を放とう
消えることない約束を 二人で「せーの」で 言おう

名前のように,「消えることのない約束」を、
ふたりで「せーの」で、
君の名は?

ってことじゃないかな?
なんて感じました。

タイトルが「君の名は?」じゃなくて、「君の名は。」っていい切っているところも意味深いです。

『前前前世』

この歌のキモはここ。

君の前前前世から僕は君を探しはじめたよ
そのぶきっちょな笑い方を
めがけてやってきたんだよ
君が全然全部なくなって
チリヂリになったって
もう迷わない また1から探しはじめるさ
むしろ0からまた宇宙をはじめてみようか

ここで、前世の前の前だから、3個前の前世から、探していた?

昔からの知り合い?

なんて、単純に考えてはいけません

物語の冒頭で、三葉は「生まれ変わったら東京のイケメンになりたい」と言っているところで、

三葉は瀧くんの前世?

なんて発想がネット上で生まれているようですが、そうではないと思います。

自分の意識によって、時と場所を超えてめぐりあう「つながり」ですから、今回いちどきりと考えるほうがおかしいでしょう。

なんにでもある「つながり」としての「結び」について、一葉が語っています。

「寄り集まって戻って繋がって、それが結び、それが時間」

おそらく、その寄り集まった複数の「つながり」は、何世代もくりかえされて、「はじめましての合図」で、リセットされながらも、脈々とつながっていたのではないでしょうか。

もう迷わない また1から探しはじめるさ
むしろ0からまた宇宙をはじめてみようか

なので、1から探しはじめるというよりは、むしろ0から新しい世界をはじめているのではないかと感じます。

あるいは、次元によっては、男と女、むしろ人と人では無いこともあったのかもしれません。
つながっているのは心(魂)ですから。

なんて、宗教じみた(^_^;)考えもでてきちゃいますが、例えば「親子の絆」や「飼い主とペット」や「心の通った友人」のような、愛のつながりも、それに含まれていたこともあったのかもしれません。

愛は恋人や夫婦のような男女間の愛情だけではなく、

いとおしく想うきもち

なのですから。

やっと眼を覚ましたかい
それなのになぜ眼を合わせはしないんだ
遅いよと怒る君
これでもやれるだけ飛ばしてきたんだよ
心が体を追い越してきたんだよ

「心が体を追い越す」

これも、よくつかわれているフレーズです。

まさに、ひとつの時空にとらわれている体や名前から、心(魂)が抜け出て追い越してゆき、心が「はじめましての合言葉」を放つのでしょう。

いまの体の記憶や体験からくる感情ではなく、追い越してきた心がもっている、いまの体では抑えられない気持ち。

「君の名は。」

『スパークル』

このうたのキモ。

運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を
伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする
時計の針も二人を 横目に見ながら進む
そんな世界を二人で 一生 いや、何章でも

生き抜いていこう

いま生きている時空のなかで、決められている運命(別れや死も含む流れ)に左右されずに生きる決心。

時計の針(時間)にさえも縛られない。

そんな世界を一生を1章にたとえて、延々とつながる次の時空でも何章でも何回でも続けていこう
という意味でしょう。

詩の冒頭では

まだこの世界は 僕を飼いならしていたいみたいだ
望み通りいいだろう 美しくもがくよ

と言っています。

世界は、僕に運命を受け入れさせたがっている。
だけど、その運命を受け入れはするけど、抵抗はするよ
苦し紛れでもがいているのではなく、「美しくもがく」と、あえてもがく決意表明をしているのでしょう。

定められた運命の流れに乗ってはいるけど、その流れを、なるべく良い方向に向かわせるよ

『なんでもないや』

この歌は本編中にも一部の歌詞がつかわれていますが、本編終了後のスタッフロールでフルコーラス流れます。

まさに、この物語で伝えたかった「まとめ」なのでしょう。

もう少しだけでいい あと少しだけでいい もう少しだけでいいから
もう少しだけでいい あと少しだけでいい
もう少しだけ くっついていようか

せつない

繰り返しでは、「くっついていようか」というあわい希望が、
くっついていようよ」という意思になります。

ずっとくっついていたい

また、この歌では、恋愛感情だけでなく、父への感情や、話したことの無い同級生との関わりなどもでてきます。

やはり、ひととの縁である「結び」や「つながり」が本質の物語ということなのでしょう。

星にまで願って 手にいれたオモチャも 部屋の隅っこに今 転がってる
叶えたい夢も 今日で100個できたよ たった一つといつか 交換こしよう

あれほど欲しかった望みも、いつか忘れてしまいます。

100個ある夢も、いつか忘れしまいます。

ずっとくっついていようよ

なので、ずっと忘れない一つの夢と交換こするのです。

僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー
時のかくれんぼ はぐれっこはもういやなんだ

嬉しくて泣くのは 悲しくて笑うのは
君の心が 君を追い越したんだよ

時間を飛び越え(フライヤー)、重力圏での経験として時は瀧のように落ちるのですが、逆に時間を登る(クライマー)と表現していますので、さかのぼる表現なのでしょう。

その時空のなかでの「かくれんぼ」「はぐれっこ」。

探したり、出会ったり、別れたり、という運命に翻弄され、

「もういやなんだ」

と葛藤します。

そして、ここでも心が追い越して、体に影響されない、抑えきれない涙と笑い。

君は派手なクライヤー その涙 止めてみたいな
だけど 君は拒んだ 零れるままの涙を見てわかった

嬉しくて泣くのは 悲しくて 笑うのは
僕の心が 僕を追い越したんだよ

ここは、あえて悲しくなりそうな解釈をしてみます。

ハッピーエンドなのかな?

君ははげしく泣いています(派手なクライヤー)。・・・なぜ?

その涙を止めることを拒むのです。・・・なぜ?

そして、君のあふれる涙をみて、何かを悟ります。

なにを 悟ったのか。

嬉しくて泣いているから、嬉しいということを悟ったのでしょうか。

だけど、

いままでは「きみの心」が、きみを追い越していたのに、

最後は「僕の心」が、僕を追い越してしまっています。

嬉しくて泣くのは 悲しくて 笑うのは
の心が を追い越したんだよ

あふれる涙をみてわかった僕は、
心が体を越えて
嬉しくてて泣いているのか?
悲しくてわらっているのか?

いままで、何章もくりかえしてきた、「結び(時空)」の流れ。

ある時は恋人、ある時は親子、ある時は友人
いろいろな形で出会って、

「はじめましての合図」を交わしてきたのでしょう。

そんな、毎回0からスタートする運命の中で、

時には、めぐり遭っても、離れてしまったり、

むしろ、めぐり会わなかったかもしれません。

または、めぐり逢っても、いまの運命に支配されていたかも。

きっと悟ったのは、

僕の心(運命を結んできた魂)が、

(今の運命にいきる、今の運命にしたがっているぼく)を追い越してしまったということ?

前前前世の歌詞

やっと眼を覚ましたかい
それなのになぜ眼を合わせはしないんだ
遅いよと怒る君
これでもやれるだけ飛ばしてきたんだよ
心が体を追い越してきたんだよ

やっと眼を覚ましたのに、目を合わせない。

体を追い越してきた心に、遅いよと怒る君。

これはどう解釈したものか。

ずっと何かを探しているような気がして生きている二人。

それが何なのかわからずに生きている

まさに、それは、二人に限ったことではない、

いわゆる、生きるという事なんじゃないかなと。

ふたりは、今回の運命では3年の時間の隔たりを越えて、やっとであいます。

石の階段の上と下のへだたりは、3年のへだたりを表現してるのでしょうか。

階段を昇り、降り、ふたりはすれ違い、「はじめましての合図」を交わします。

これは、ハッピーエンドではありません。ハッピースタートなんです。
ある意味ふたりのハッピーな出会いまでのワクワクは終わったのです。

延々とつづく「結び」のなかの、0からスタートするふたりの運命が始まったのです。

スタートは喜びとか悲しみとかの始まりです。

その後、これからどうなるかは、まだ決まっていないのです
体を追い越した心と心が、結びの中でどうなっていくのか。

ここで物語が全体を通して伝えているイメージも気になります。

襖や障子の開け閉めは、仕切りになるものが真ん中で開け閉めされ、何度も左右を分断します。

1000年ぶり(小説では1200年ぶり)に落ちる彗星が、2つに割れて2本の弧を描きます。

昼と夜の間の時間「黄昏時」の語源、「彼は誰(かはたれ)時」を、1000年前に彗星が落ちた糸守地方では、カタワレ(片割れ?)時と呼びます。

ひょっとすると、1000年前も彗星は2つに割れて、片方だけになったものが今の御神体なのかもしれません。

あまりにも2つに割れるイメージが多くありませんか。

だからこそ糸守では、糸を束ねて紐を組む「組紐」という文化が受け継がれてるんじゃないかしらって。

1200年前の彗星落下から、脈々と結んでいた運命のつながり。

それが、今回終わりを告げて、新たな落下地点に新たな御神体ができて、新たな結びが始まる、ハッピースタート

切なく悲しいスタート?エンド?

ふたりのハッピーが始まって、一緒に生きて、それからどんな運命が町るけているのか?

だって、ふたりは、朝起きると、なぜだかわからない悲しい気持ちで、泣いているのですから。

だって、新海誠ですから。

でも、きっと、つぎの運命でも、また「はじめましての合図」を交わして、新たな「結び」として続いていくことを夢見ましょう。

「君の名は。」

余談

ふたりが、ずっと何かを探しているような気がして生きている東京の風景。

テッシーサヤちんが東京にでてきていることは気づきやすいですが、実は三葉の口噛み酒が気持ち悪いと悪口を言っていた同級生も、東京の生活に登場しているようです。

つまり、東京の風景を表現しているのではなく、彗星落下後の被災者の人生を表現しているのではないでしょうか。

そして、その人達の中にも「結び」はあり、それぞれが、何かを探しているような気がして生きているのではないかな。

といった風に読み取りました。

誰もが、脈々とつづいている「結び」の流れの中にいるのです。

 

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QP Junのお絵描き話

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